食べ物記者 齋藤訓之

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景観利益、私の大罪……

 国立市にできた14階建てのマンションを巡って、地元住民が建物の撤去などを求めていた訴訟。最高裁は、「景観利益」が法的に保護される利益であるとの判断を示しながら、当該マンションがその景観利益を違法に侵害するものではないとして上告を棄却。住民側の敗訴が確定した。

 私は当事者ではないので、この判決の是非は考えない。ただ全く個人の主観として、国立の街を美しいと思ったことはない。

 車道の広い道路があって、その両サイドに狭い歩道がある。車道と歩道の間には自転車専用道路があるけれども、そこを走る自転車というのはあまり見かけず、ほとんどのママチャリやクロスバイクは狭い歩道を走っている。走っているので危なくてしかたがない。街路樹がきれいとか言って歩いていると轢かれる。美しいか美しくないか考える余裕などない。

 その狭い歩道に、祭りとなると屋台が、長く、高密度に並ぶ。商店街や市民が出す屋台ではなくプロが出す屋台で、たいへん殺気立っている。

 また、“エリートの街”と思い込むからなのかも知れないけれど、歩いている人もどうも冷たい感じがして、殺伐としている。私には馴染めない。

 だから、特別な用事がない限り、あまり足を踏み入れないことにしている。事情があって行ってしまったときは、「邪宗門」と「珈琲館」国立店、この二つの喫茶店のどちらかに駆け込む。そして優しい、あるいは楽しいマスターと、ほっとしているお客さんたちを見ながら、心の中で唱える。「大丈夫。ここもちゃんと人の住む街だよ」と。

 ただ、国立市の人々が景観を大切にする心を持っていて、その思いに従って行動もしている点は、心から尊敬し、うらやましくも思っている。

 それに引き換え、わが郷里函館の情けないこと。さながら、悪い景観の見本市のようだ。

[caption id="attachment_1159" align="alignnone" width="560"]本当は美しい函館 本当は美しい函館[/caption]

 バブル期に、市の最大の観光資源の一つである函館山の麓ににょっきりと、場違いな色、形、高さのマンションが建った。山を隠し、見苦しいことこの上ない。

 その函館山に登って市街を見渡せば、最も目立つのはくびれた砂州の中心に建つ市役所の建物。函館市の市街の色調はグレーなのだけれど、その真ん中にレンガ色の踏み台のようなものが転がっているように見えて、件のマンション以上に見苦しい。

 サイズもでか過ぎる。かつて友人が、週刊誌のグラビアで完成間近の横浜ランドマークタワーの写真を見て、思わず「わっ!」と声を上げ、「これ、絶対に天罰が下ると思いません?」と言いながら雑誌を持って来てくれた。周辺の建物とあまりにもかけ離れた大きさに、バベルの塔を連想したのだ。函館の市役所の外観も、規模は違うけれどそれと全く同じ空気を醸している。

 夜景を見るとさらにショックを受ける。宝石箱にもたとえられるきらめく光の中、市役所の部分が暗黒星雲のように黒く抜けているのだ。

 陸がそうなら海もひどい。地方博ブームのときに函館港の一部を埋め立てた「緑の島」なるものが海岸線をぶち壊している。しかも博覧会会場として使用し終わった直後から、他の用途がなく放置されていた(一応公園ということになっているけれど、草と駐車場があるだけだ)。ここに水族館だの大観覧車だのを建設する案があると聞いたときは、本当に卒倒しそうになった。景観もへったくれもない。――金のためかと言えば、そうでもないらしい。「赤字覚悟」と聞く。何なのであろうか?

[caption id="attachment_1158" align="alignright" width="192"]ほどほどに美しかった頃の函館 ほどほどに美しかった頃の函館[/caption]

 20代の頃には、「事業を起こして大金持ちになって、あのでたらめなマンションを一棟丸ごと買い取って、友達に市長や市議になってもらって、マンションと市役所庁舎を取り壊し、緑の島を再び海に戻そう」なんて考えたものだけれども、そういう思い付きを単なるビールの友の夢物語にしてしまって、今は自分だけ勝手に小さく平穏な日々を送っているというのは、私の大罪だと猛省している。

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