食べ物記者 齋藤訓之

農業、食品、外食に関するビジネスの記者・編集者、齋藤訓之(さいとう・さとし)のWebサイトです。

「くれ」「くれ」「くれ」と、彼らは叫び続ける

[caption id="attachment_1160" align="alignright" width="192"]「邪魔よ」「そっちこそ」 「邪魔よ」「そっちこそ」[/caption]

 家の周りは、東京のはずれとは言えけっこう自動車の交通量が多い。ベビーカーを押して歩くときは、恐る恐る、道の端に寄ってそろそろと進んだものだ。私の近所が、とんでもない人たちの巣窟になっていると気付いたのは、その頃だ。

 道の反対側から、大学生と思しき若者が手ぶらで、すたすたと歩いて来る。この場合、私が育った田舎の感覚では、身軽な彼の方が当然車道側を歩いて、赤ん坊を連れたこちらに安全な進路を譲ってくれるものと考える。それで、こちらは譲ってくれることに対する謝意を込めて、道の端に寄る。

 ところが若者は、車道側ではなく、私たち(ベビーカーに乗った赤ん坊と私)よりさらに道の端を選んで突き進んで来る。そして、道端の塀に体をこすりつけながら、一方でベビーカーにぶち当たり、私の肩にぶつかりながら、かきわけるようにしてしゃにむに通り過ぎていく。

 最初は、変わった人がいる程度に思っていた。ところが違うのだ。私の家の周りの若者は9割方、男性女性を問わず、無理を押してでも、赤ん坊連れを車道側に、自分は道の端にと進路を取る。40代ぐらいまでの主婦の多くも全く同様だ。

 彼らは、自転車に乗っているときも同様に振る舞うので、危なくて仕方がない。また、相手がカップルだとさらにタチが悪い。腕を組むなり手をつなぐなりして横並びになったまま、ベビーカーと塀の間に挟まってくるからだ。こちらは、ぼうっとしているとよろけることになる。さっさと車道側に逃げるのが得策だ。

 妻がベビーカーを押しているときも、少し離れて見ていると、やはり彼らの振る舞いは同様だった。若者は、壁に張り付いてでも、必ず車が来ない方を選んで歩く。これが私の住む町での鉄則のようだ。

 何も言わずに赤ん坊連れは道の端を進ませて、自分は車道側を歩くというのは、既婚と思しきネクタイ姿の人と、お年寄り(男女とも)だ。お年寄りにはこちらが申し訳ないので、すれ違う随分前からこちらが車道側に回るのだが、結局譲られてしまうことも多かった。

 東京都全部がそうなのではない。たとえば杉並区のある駅の周辺を歩いた際、ベビーカーを押して歩きやすいので非常に驚いた。若い人たちも誰も、にこにこ歩きながら、自然な風に赤ん坊連れが車道側にならないようにしてくれた。

 それで、私たちはそれぞれの町の生態系というものの違いを強烈に感じて、自分たちが間違った生態系の中に居を構えてしまったことを悔やんだ。

 思うに、私が住む町に集まって来る若者とある種の主婦たちは、人生の中で“弱者”としての経験しか持っていないのだ。大人に守られる子供のまま、男に守られる女のまま、体だけ大きくなってしまった。守られることしか知らない。誰かを守る自分の姿というのは、全く想像の埒外にあるのに違いない。いわば、リーダーシップの完璧な欠如だ。

 一人で歩く場合、私はすれ違う相手が老若男女どんな人であろうと、自分は車道側に回る。そんなことは、元気な自分を実感できる者には当然のことだ。考えてすることではない。私も身の回りの親しい友人たちも、小学生の頃からたいていそのように町を歩いてきた。

 それで、ベビーカーを押し慣れて来たある時点から、普段と同じく常に車道側を歩くことにした。すれ違うときにもらう、若者や主婦たちのやぶにらみを見るのが嫌だったし、連れているわが子にも、常に車道側を選ぶ癖を付けてほしかったからだ――「君は強い人なんだから」。

 それで、再び平穏に道を歩けるようになった。

 それにつけても、守られること、譲られることしか知らない“弱者”が巷にあふれてきているのではないか。電車の中で、お年寄りや立ち続けていることがつらそうな人がつり革につかまって立っている。その足もとでシートに座り続けている健康そうな若者を見るたびに、暗澹とした気分を味わう。

 私たちの社会が持つ機能の何が、彼らを増やしているのだろうか。

 往来でこのように振る舞う彼らは、バイト先、パート先、就職先でどのように振る舞い、何を要求しているのだろうか。買い物をした店で、行政の窓口でどのように振る舞い、何を要求するのだろうか。

 そして、その人たちの子供はどうなるのだろうか。

 さらに、彼らが私の町からあふれ出し、日本国民のメジャーとなった暁(既にそうなっているなどということがないことを祈るばかりだ)には、この国はどうなってしまうのだろうか。

 日本列島の地図の形をしたツバメの巣を思い浮かべる。その巣の中にたくさんの雛たちが充満している。赤い口を大きく開けて「くれ」「くれ」「くれ」と、彼らは叫び続けるだろう。

© Satoshi Saito, Kosetsusha, Inc. All Rights Reserved.
No reproduction or republication without written permission.