食べ物記者 齋藤訓之

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亀田大毅選手の心を想像する

 もうずいぶん時間が経ってしまったので、今さらと思われるかもしれないけれど、亀田大毅選手のことをちょっと心配に思っている。個人的に何のかかわりもない人間から心配されるのも迷惑な話と思うけれど、自分の18歳の頃の感じ方、肉親に対する気持ちのありようなどを考えると、同情するところがある。

 父、亀田史郎氏が(反則を指示したかどうかについて)「言い訳はしない」と言っているので、史郎氏は大毅選手に反則を指示したのだと理解する。その前提からすると、大毅選手の心に生まれた闇のことを思わずにはいられない。

 18歳の少年が、尊敬する父でありトレーナーである人物から反則を指示され、彼はそれに従ってリング上で見苦しい挙に出た。そのことで世間から非難を浴びた。すると父が「指示はしていない」と言い張った。つまり、大毅選手が勝手にやったのだということになる。

 これ、世の多くの企業では日常茶飯事。よくあることだ。上司の指示に従ってやった作業が実は(大なり小なり)法律的にはアウトで、それが世間に露見した途端、会社が「現場が勝手に判断してやったこと」とシラを切る。昨今よくあるニュースの類だ。

 それは、トカゲの尻尾切り、裏切りだ。まあ、そうやって裏切られ、ひとりぼっちにされたとて、大人ならそのくやしみに耐えなければならないこともある。あるいは、もし耐えられないと思えば、その上司なり会社なりを訴えることもできる。

 大毅選手には、それができるか? 私があの年齢で大毅選手の立場だったら、父に裏切られたと感じる。18歳の少年は、父親の自分に対する裏切りをどう耐えればいいのか。くやしみをどう処理したらいいのか。相手が父では、訴えるなどということも思いつきようがない。

 神のように敬愛していた父親が、子供を裏切るような小さな人間だったなんて、誰だって思いたくない。そんな出来事は目の前で起こったって信じようがない。でも現にそうなっちゃっている。そんなこと、どうやって心の折り合いを付けたらいいのか。

 それは本当はくやしみなんて生やさしいものではない。自分の存在にかかわる重要なことなんだ。自分は誰なのだ、何なのだ、がかかっている、とてつもなく大事なことなのだ。

 口が利けなくなって、飯が喉を通らなくなって、当たり前だよ。

 18歳の頃、私は父に裏切られるようなことこそなかったけれど、親子喧嘩で父を論破してしまったことがある。それは、私が雄弁だったということじゃない。父に隙があった。父親たるもの、10代の子供に論破されるような隙を持っちゃいけない。でも、あの時、父はその隙を作って、クソガキの私に揚げ足をとられてひっくり返り、黙ってしまった。小さな小さな、人形のように小さな父が、テーブルの向こうに座っていた。私はそんな父が見たかった訳ではない。その姿が哀しくて悲しくて、いたたまれず外へ出て、家人が寝静まる深夜まであちらこちらうろついて歩いた。

 でもしょうがない。あまねく父親は、今の私がそうなように、本当は小さな人間なのだ。それがいつか、子供にばれる日が来る。そのとき子供は、父親の小ささをじっくり味わうほかはない。とてもつらいけれど。

 でも、その後で、何年か後で、愛すべき、やはり頼もしい、大好きな父親をまた発見するのだ。私はそうして父親を再発見して、心の落ち着きを取り戻した。ずいぶん時間がかかったけれど。その間、親子関係はずいぶんぎこちないものだったけれど、遂にはなんとか、安心できるところへたどり着いたように思う。

 父ちゃんは父ちゃんさ。本当はね。大毅さん、しっかり。

 亀田家の“パフォーマンス”というやつ、私は大嫌いだけれど、試合後の説明もなっていないものばかりだけれど、今は応援している。兄の興毅選手がメキシコに行ったというのが、またなんだかよく分からないけれど、あの、家族を代表してという記者会見の時の彼の神妙な顔、とても価値のある面構えと感心した。あのほうが彼らしいのだと思う。かっこいい。いずれ本物のすごみを持つはず。亀田兄弟、ちゃんと、本当のヒーローになれる人たちなんじゃないかと、少し期待している。

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