食べ物記者 齋藤訓之

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s.s.コロンビア号を悼む

[caption id="attachment_1173" align="alignright" width="192"]飛べ! 落ちるな! 飛べ! 落ちるな![/caption]

 去年の冬だったか。電車で、東京ディズニーリゾート(TDR)の車内広告を見た。その中に「s.s.コロンビア号」という文字があって、「さすがはディズニー。空中分解したスペースシャトル・コロンビア号の事件も商品にしちゃうんだ……」と息を呑んだ。実はそれは間違いだと後で分かった。TDRの「s.s.コロンビア号」は豪華客船を模したもので、レストランが売り。「s.s.」は「space shuttle」ではなくて、恐らくは「steamship」か。なんとも紛らわしいこと。

 スペースシャトルの方のコロンビア号が初めて飛んだのは、高校2年の頃。真冬の夜明け前、ブルブル震えながら布団からはい出て、いそいそとストーブをつけながらテレビに見入ったもの。勉強机の周りにはスペースシャトル関係の本が山積みで、勉強もしないで読んでいた。

 数学の点が思わしくなかったけれど、それから勉強すれば宇宙飛行士も夢ではなかった(誰でも)。でも、「スポーツが得意なこと」「強靱な肉体。飛行のその瞬間まで健康そのものであること」「ロマンチストの宇宙飛行士がマーキュリー(米国で最初の有人宇宙船)で大ボケをかまして死ぬところだった」など読むと、宇宙飛行士を目指すことは、努力が報われない賭けのように思えて、どうしても真面目に考えられなかった。

 それで逆に、宇宙飛行士はやっぱりヒーローの中のヒーローなのだと、改めて尊敬した。

 だから、大学2年の冬、チャレンジャー号が爆発して墜落したとき、本当に、どうしようもなく、この世の終わりが来たと思うぐらい、ショックだった。受け容れられないニュースだった。

 友人たちがアパートに集まって、楽しく夜明けまで飲んで、「朝飯でも食いに行こう」と外に出たときのことを思い出す。ポストから新聞を出して広げて「えー」と叫んだのは、後によしりん企画に行く時浦兼君(10年以上連絡とってないけど元気かな。たまには一般社会の風を浴びるんだぜ)。アパートの玄関先、みんなでそれを囲んで、一気に酔いが醒めた。

 それでも、まさか後にコロンビア号があんな風に消えてなくなるとは、想像もしなかった(20年以上も使うとも思っていなかったけれど)。

 とにかくあれも、受け容れられないニュースだった。砂漠に舞い降りるコロンビア号を映すブラウン管を、暗がりでじっと見つめていた10代の私。あれが、みんなが観る中で、あんな風に消えてなくなるとは思ってもみなかった。人が死ぬなんて、考えてみなかった。可能性はあると理解はしながら、想像しなかった。

 きちんと目標を立てて、日々の行動を組み立てて、きちんと実行していけば、とてつもないことも実現できるのだと、スペースシャトルについての本は一様にそれを語っていた。宇宙飛行士になれるかどうかは賭けでも、宇宙船を飛ばすことは賭けではない。何%かの失敗の可能性は織り込まれているものの、そのリスクの管理の仕方も語っていた。米国人の知恵はすごいと思った。それが、人が発揮し得る力なのだと思った。

 だから、失敗してはいけないのだ、彼らは。5機のうちの2機もクルーと一緒にだめにしてはいけないのだ。それは、奇跡によって着任したヒーローを殺すことであるし、それは、悲しみとともに、知恵への疑問、努力することへの不安を世界にまき散らす。やっぱり、受け容れられないニュースだ。

 挑戦者たちに敬礼。

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