食べ物記者 齋藤訓之

農業、食品、外食に関するビジネスの記者・編集者、齋藤訓之(さいとう・さとし)のWebサイトです。

スクーバダイビングツアーの苦い思い出

[caption id="attachment_1184" align="alignright" width="192"]オープンウォーターの免状をもらったけれど オープンウォーターの免状をもらったけれど

 プーケットに行ったのは、1993年の秋。スクーバを習うために、エア、宿、PADIのスクールが一緒になったツアーに申し込んだ。遅い夏休みのつもりで予約していたのだけれど、直前に柴田書店を退社したので、“卒業旅行”になってしまった。

 水産関係の研究者だった父は、スクーバの大衆化に冷ややかだった。専門的な技術で、一般に危険な行動。「仕事としてやるべきで、素人が楽しみのためにやるものじゃない」――子供の頃、スクーバの事故のニュースが報ぜられるたびに、彼は言っていた。

 でも、楽しそうじゃない? 大人になったら、グライダーとスクーバは絶対やりたい。航空のほうは色覚に自信がなかったのでやめたけれど、スクーバは算数と冷静な判断力さえあれば出来そう。それで、ものすごく楽しみにしていた。

 ところが、とんでもない目に遭った。

 座学とプールでのトレーニングの後、何日目かに実際に海に入った。私のバディは柴田書店の元同僚。女性インストラクターともう一人女性のツーリストがバディを組んで、合計4人(4人とも日本人)で潜ることになった。生まれて初めての、オープンウォーターでの潜水だ。

 中は、激流だった。

 濁流で、2m先がもう見えない。「まじかよ!」。降りていくにつれて、上も下ももうわからない状態。と、足が何かに触れた。カラカラ、ガラガラと音がするような感触。見て驚いた。サンゴだった。だめだ、ここに着地しては。サンゴが壊れる!

 ところが、そこは焦る初心者、浮力を安定させられない。大きく息を吸って浮上しようとすると、激流に押されて姿勢をくずした。転げるように、サンゴの中に叩きつけられる。バディも右往左往している。

「サンゴを壊すために、こんなこと習いに来たんじゃないんだ」

 水の中で半泣きになりながら、じたばたしていた。いや、じっとしようとしていた。

 初日がそんな、ひどい有様。これでいいのか? あのサンゴ、どうなるんだ?

 ああいう場所でトレーニングをするのはどうなのかと、インストラクターに質すと、今はそういう季節なのでとかなんとか、要領を得ない。底に着かないように頑張るしかないのか?

 そうして実技の最終日、遂にとんでもないことが起きた。

 ひととおり復習しながら、今日は楽しむためにということだったが、そうはいかなかった。その日、海はさらに強い流れとなっていた。濁った水の嵐のような海底。水平方向に移動しないように真っ直ぐに降りていって、また姿勢を保とうと頑張っているうち、気が付くとバディが見えなかった。

「しまった」

 しかし、焦ってはいけない。その場を動かないようにして、ゆっくり体を回転させながら、インストラクターとツーリストの女性2人組も探した。いない。3人とも見失ってしまった。

 こういうときは、定められた時間、その場に留まって発見に勤めるのがルールだ。すぐに時計を確認し、時間が来るまでそこを動かずに目を凝らした。

 残念ながら、3人を見つけることはできなかった。

 手を挙げる。上に手を伸ばしながら、ゆっくり浮上を開始した。水面が遠い。しかし急浮上は禁物。気泡を追い越さないように、焦る気持ちを抑え込んで、ゆっくりと上がって行った。

 水面は、地獄だった。浮上してみると、そこはジェットスキーが行き交うど真ん中だった。海底では留まっていたつもりだが、降りるときと、浮上するときとで、ずいぶん流されたらしい。

 幸いにも、どのジェットスキーも私に気付いてくれているようだった。轢かれないように気をつけながら、あちこち見回して3人を探す。しかし、水面にも彼らはいなかった。だめだ。振り返ると、出発した島が見える。岸へ泳いで行った。

 上陸すると、そこにいた現地の人が何か喚いている。言葉が聞き取れなかったが、「ここに立ち入るな」と行っているらしい。すさまじい岩場で危険だと言っていたのかもしれないし、ここはオラの縄張りだと言っていたのかもしれない。

 と言って、海に戻るわけにもいかない。まさか。「相棒を見失ったんだ。探さなくちゃ」とか言いながら、歩いて船着き場を探して戻った。

 船着き場の大将に事情を説明すると、「わかった。あわてるな。必ず見つける」と言って、私に椅子を出してくれた。

 どれぐらい経ったか覚えていないが、とにかく長い時間が過ぎた。バディを見つけられなかったら、浮上して戻ってくるはずだ。しかし、そうしたとは考えられないぐらいの時間は過ぎた。

 ルールなんかいいさ、いなくなった奴はほっといて、最終日のダイビングを楽しもうとほっつき歩いているのか。あるいは、私がいなくなったことに全く気付いていないのか。まさか。正規のインストラクターと、今日にも免状をもらおうというまともなダイバーたちなのだから、それはないだろう。

 ならば、3人とも流されて、遭難してしまったのか。恐ろしい。どうするんだ。どうしたらいいんだ。

 3人は、出発した船ではなく、地元の人が漁に使うような小さな船で戻ってきた。真ん中に、女性インストラクターが座っている。私は目を疑った。彼女は沖から、私を怨念のこもった目でにらみつけていた。ルール通りに行動した私を。

 上陸してからも、3人は私に何も説明してくれなかった。いつ私がいないことに気付いたのか。あるいは気付かなかったのか。探す行動はとったのか。あるいはそのまま最終日の潜水をエンジョイしていたのか。どこまで行っていたのか。どうやって救助されたのか。

 何もわからなかったけれど、とにかく女性インストラクターは大いにプライドを傷つけられ、それに腹を立てているようだった。しかし、さすがに私を批難できない。それはそうだ。ルールに従ったのは私のほうだ。かと言って謝るわけでもない。互いの反省点を指摘して今後に役立てようというのでもない。一体何があって、何を考えているのか、最後までわからなかった。

 しかし、とにかく、4人とも生きて還って来れたので、私はそのことに満足するべきだと思い直し、何を問い質すということもしなかった。

 オープンウォーターの免状(カード)をもらうとき、私は決定的にあきれた。女性インストラクターはこう言った。「私はオーストラリア地区で教える資格しか持っていないので、ここで発行する修了証にサインはできません。ここのボスがサインします」。サインをくれたのは、私たちが一度も会っていない人だ。

 あれから、私は一度も潜っていない。もう一度新規に習い直すまでは、絶対に潜ることはないだろう。サンゴを壊したくないし、命も惜しいからだ。

 父は正しかったと思えたことだけが、唯一の収穫だった。

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