食べ物記者 齋藤訓之

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海から来ただって!?

[caption id="attachment_1220" align="alignright" width="144"]海 海[/caption]

 誰だって、自分が一生を捧げて来た事業が無意味だったなんて思いたくない。松本清張の「或る『小倉日記』伝」の主人公などは、そうした悲惨な目に遭う代表格だと思うけれど、この人はまだましな方だ(なぜましか、詳しくは読んでください)。

 私などは大学で「古事記」の勉強をした口だけれども、史料に当たっている最中に何度も「『古事記』は贋作!」「うそ!」「にせもの!」「ありえない!」とする本にぶち当たった。

 そのたびに「まあ、研究しているのは『古事記』の成立についてとかではなくて、出てくる歌一首についてだけだから、気にしなくていいや」「担当教授は『贋作だから卒論のテーマにすんな』とは言ってないんだから、やっぱり本物なんじゃないの?」なんて、のん気に勉強を続けたもの。

 しかし、大学を出て何年も経ってから「倭国の時代」という本を手に取ると、「古事記」が平安時代いかにしてでっち上げられたかが明解に書かれていた。これには膝を打って「なるほど!」と叫んだ。

 いや、こんなことで私はさほどショックは受けていません。ある歌一首について卒論書いただけですから。むしろ、その論の鮮やかさに感動したぐらいです。

 でも、文字通り一生を「古事記」研究に捧げた先生なんて、本当に大勢いる。古くは本居宣長。明治から戦前にかけては、とりわけ多い(「日本書紀」を勉強していればよかったのに……)。

 彼らにとっては、これは人生の大問題。そんな人たちに、「『古事記』は平安時代に誰それがでっち上げたもの」と、どう論理的に説明して聞かせても、まあ、絶対認めないだろうなと思う。「俺の目の黒いうちはそんな説は認めん!」なんて。

 今流行の、行政を巡る様々な“抵抗勢力”も、単に金づるがなくなると困るといった問題のほかに、そんな「今までおいらが手掛けて来たものをなくせるか!」という気分によるところも大だろう。

 さて、理科系の世界で今、そうした抵抗勢力が最も多いテーマの一つは、人類の進化についてだろうと思う。

 人類が、なぜ今日のような姿になったか。現在の主流は「サバンナ説」と「ネオテニー説」だという。

 前者は、樹上生活をする類人猿が住んでいたアフリカの森林地帯が気候変化で草原になり、やむを得ず木から降りて歩き始めたとする説。

 後者は、子供から大人にならないまま成熟する生物学的な現象(ネオテニー。昔テレビで話題になった「ウーパールーパー」もこの一例)で今の人類の形になったとする説。同じチンパンジーでも、大人よりも子供の方が人間に顔立ちが似ているというようなことが根拠のようだ。

 しかし、これらを一気に“抵抗勢力”化してしまうような、すごい理論が出ているのだ。なんと、ヒトは昔水生生物だったという、「アクア説」。

 海から来ただって!?

 アクア説の根拠は、たとえばこんな風だ。

 まず体毛。これが、クジラやイルカやアシカのように少ないこと。また生えている体毛は、泳いだ時に逆立つことがないように、頭の方から足の方へ向けて並んでいる。

 次に皮下脂肪。チンパンジーやゴリラには皮下脂肪はない(うらやましい!)。こういうのがある哺乳類は、クジラだのアザラシだのの水生生物か、かつて水生生物だったものだけ。

 涙。これが出るのは、海水に触れて暮らすカモメ、ペンギン、ウミガメ、アザラシなど。ワニも淡水産は涙を流さないが、海に棲むワニは涙が出る。チンパンジーやゴリラは涙を流さない。

 二足歩行。水の中で立って歩いたのが始まりなんじゃないか。また、水生生物は例外なくバランス感覚が発達している。アシカショー、イルカショーを見ればわかる通り……。

 潜水。ヒトはクジラやアシカと同じように、水に潜ると心拍数が減り酸素消費量が減る(「潜水反射」と言う)。チンパンジーやゴリラにはこんなことはない。というより、彼らは怖がって水には潜りもしない。

 など、など、など、など。「人は海辺で進化した」という本には、アクア説のこうした説明がたっぷり書かれている。しかも、サバンナ説やネオテニー説でこれらのことが説明できないかについても冷静に分析され、丁寧に記述されている。

 これ1冊読んだら、もうアクア説以外は信じられないというか、笑い飛ばすしかないとさえ思える。それほどの説得力がある本だ。いや、他の説の説得力のなさが際立って見えるという方が正確か。

 しかし、未だにアクア説が学校でもテレビでも雑誌でもどこでも、まともな説として紹介されることは少なく、奇説、珍説の扱いというのは、やはりサバンナ説、ネオテニー説に命を賭けて来た“抵抗勢力”の人たちの人口がまだまだ多いのだろうなと思う。

「俺の目の黒いうちは」なんていくら頑張っても、真実の本当の恐ろしさというのはなまなかなものではない。「或る『小倉日記』伝」を読み返すと、そのことを改めて思い知らされる。「サバンナ説」「ネオテニー説」に執着する人(せざるを得ない事情を持った人)は、今のうちにこの短編小説を読んでおくべきだ。

 ちなみに、「人は海辺で進化した」を読了してから街を歩くと、道行く人が皆、まるでアシカかペンギンがスカートはいたりネクタイ締めたりしてひょこひょこ歩いているように見えて、吹き出しそうになります。ミュール娘がいちばん笑える。

 なんというか、少年少女もおじさんもおばさんもじいちゃんもばあちゃんも、みんなとても可愛く見えて、アカの他人もとても愛しく思えます。おすすめの体験です。

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