食べ物記者 齋藤訓之

農業、食品、外食に関するビジネスの記者・編集者、齋藤訓之(さいとう・さとし)のWebサイトです。

ケニアの「サル」

キリン

キリン

 ケニアにはいくつもの民族が住んでいる。それだけでなく、いくつもの他の国々から、いろいろな人々が来ていた。

 定住している外国人と言えば、なんと言ってもインド人。欧米でユダヤ人が成功しているように、日本を含むアジアで華僑が成功しているように、ここではインド商人たちが成功しているらしかった。

 街にはインド料理店が何軒もあった。日本で言えば中国料理店やラーメン店のようだ。

 土産物店も、市内にはインド人経営の店がある。ハイウエイ沿いの「ディスカウント! ディスカウント!」の店と違い、インド人の土産物店は「適正価格」というやつで、値切り交渉はなしが普通。そのかわり高めとは言え、まあまあ常識的な価格だ。

 ナイロビで、一度路線バスに乗った。座席は「ムゼー」と呼ばれ尊敬される年長者のもの。いずれ譲るなら最初から立っていようと、つり革につかまって窓外を眺める。

 街を走る車は、日本車、とくにいすゞが目立った。大衆車いすゞの川の中を、時折悠然と、古かったり新しかったりのメルセデスが渡っていく。

 背の高い車は、観光客が乗るカーハヤ(運転手付きレンタカー)だ。もちろん自分で運転するレンタカーもある。

 こういうものに乗っているのが目立つのは、なんと言っても米国人と日本人だ。両国人とも、姿も行動もよく似ている。

 ケニアの米国人と言えば、ジーンズに軽薄そうなTシャツかポロシャツの白人。腰にはウエストポーチ。サングラス。キャップ。腕にはヘビーデューティ系の安物時計(いや、高いのかも知れない)。胸にはカメラと足りなければビデオカメラもぶら下げる。車中、ナイロビ市内でも窓の外をキョロキョロ見回して、何でも遠慮なしにカメラを向ける。

 まあ、「おさるのじょーじ」のようだ。

 自分が、サルのような米国人たちと同じカテゴリーに属することを強く意識したのは、バスが、市内で最も料金の高い全館スイートの観光ホテルの前を通った時のことだ。

 白亜のホテルのエントランスに、真紅のコートを身にまとった長身の黒人ドアボーイが立っていた。遠目にも、2m以上の巨人であることがわかる。

 その大男が、その背丈のさらに倍もありそうな大きなドアを厳かに開くのが、渋滞の中走り始めたバスの中から見えた。

 中から出てきたのは、彼ほどではないにしろ、やはり背の高い、金髪の白人女性。ゆったりとしたロングスカート姿で、ゆっくりとドアから出て来た。一生、ハンカチの入ったハンドバッグよりも重たいものは持たないように見える。故ダイアナ妃のような印象があり、勝手にイギリス人と想像した。

「あれが、ヨーロッパ人にとってのアフリカ旅行なんだ……」

 汗臭いTシャツ姿の僕の、不覚にも世界の中での“身分”(と言って悪ければ“精神年齢”)を意識してしまったその同じ目に、我がバスを追い越すオフロード車の中ではしゃぎまわる米白人の一団の姿が飛び込んできた。

 鏡を見るようだった。

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