食べ物記者 齋藤訓之

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阪神淡路大震災の朝

 95年の1月――バブル崩壊の影響が消費に出始めた92年、堤清二氏は「トンネルを抜けると、そこは氷河期だった、ということがあり得るのではないか」と言ったという。それから3年、「本当だったんだ」と思い知らされる頃だった。

 あの朝、僕は東京のアパートで40℃を超える熱にうなされていた。何年ぶりかのひどい風邪だった。インフルエンザだったのだろう。

 得られるはずだった大きな仕事が、年初に来たたった一通のメール(インターネットじゃない。パソコン通信だった)でふいになった後だった。某プロバイダの社長氏、屠蘇を飲みながら考えているうちに弱気が出たらしい。その仕事のために、すべての取引先に「来月からできません」と挨拶し、同業の仲間に仕事を引き継いだ後だったので、すっかり丸裸になってしまった。

 吐き気もする、腹も下している、身体はバラバラになりそうなほど痛く、寒い。最悪の朝だった。朝なんか来なくてもいいという気分だった。

 テレビをつけたら、神戸が火の海になっていた。

 前年まで、レストランや新しい複合施設の取材で、何度となく通った街だった。大好きな街だった。同じ港町でありながら、郷里函館よりも遥かに美しく、上品で、明るく、楽しく、古いものを大切にし、新しいものをうまく整え、何より繁盛していて、とにかくうらやましかった。うちの田舎をあんな風には変えられないのか、変えるにはどうしたらいいのか、そんな風に考えるあこがれの街だった。

 それが炎上していた。

「何もかもおしまいだ」――布団をかぶって、一日中泣いていた。

 でも、何もかもおしまいなんてことはなかった。数年後にやっと訪れた神戸は、ところどころに震災の跡を残しながらも、傷ついた心を秘めながらも、また美しく活気のある街に戻っていた。

 陽はまた昇る――神戸のみなさんに何度勇気付けられたかわからない。

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