食べ物記者 齋藤訓之

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見えないからよく見える秘仏

[caption id="attachment_1243" align="alignright" width="192"]包んで、持って帰る……? 包んで、持って帰る……?[/caption]

 秘仏。仏像があるのに、見せてもらえない仏像。何年かに一度見せてもらえるものもあるが、未来永劫肉眼で拝むことがかなわないことになっている秘仏も多い。せっかく作ったのに、何で見せてくれないのか。

 目で見ることができなければ、一生懸命考える。どんな顔形で、どんな大きさで、どんなポーズで、どんな色で、どんな雰囲気で……。いろいろに想像を巡らせ、本当の姿はああか、こうかと頭を働かせる。その姿が心の目で見えるようにと、真剣に求める心が生じる。その強い心を引き出そうとするのが、秘仏という仕組みなのだろう。

 とすれば、何年かに一度御開帳がある秘仏よりは、永久に御開帳のない秘仏の方が、親切かも知れない。

 仏像をいくつも盗んでしまった人が最近いたけれども、それは仏像の求め方が違ったのだろう。物体としての仏像をそばに置けば、かえって仏の姿は見えなくなる。

「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し」(臨済録)。見えてはいけない、見えたと思ってはいけない。それじゃない。あれでもない。それじゃないでもない、あれでもないでもない。ない、ない、ない。

 “偶像崇拝”を許さないユダヤ教、キリスト教、イスラム教。わけてもイスラム教。彼らの信仰によって、昔から最近はバーミヤン大仏まで、各地でいくつもの仏像の顔が削がれ、首を落とされ、破壊されてきた。

 人が一生懸命作ったものを壊す仕業は、私たちの感覚ではほめられたものではない。歴史的、人類的財産を失ったことも残念でならない。でも、いいじゃない。これで余計、仏像の姿がよく見えるようになったはずだから。彼らに感謝することもできる。

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