食べ物記者 齋藤訓之

農業、食品、外食に関するビジネスの記者・編集者、齋藤訓之(さいとう・さとし)のWebサイトです。

Reverent Father Yoshitaka Kameura 亀浦芳孝 神父 様へ

大森浜(函館)

大森浜(函館)

【これは高校の恩師への私信です。内容も甚だ個人的なもので、他の皆様にとって意味のある文章ではありませんが、ここに掲載することをご了承ください】

 亀浦芳孝先生。お元気でご活躍のことと存じます。先生は今日も地球のどこかで、神様とあなたの隣人のために真心を尽くされていることを確信いたします。いつか何かのきっかけで、先生が私のこのページを見付け、ご覧になることを願います。そして、お忙しい中でも一通り目を通してくださったら幸いです。お心は乱さないつもりです。

 学校も卒業生の誰も、札幌教区でも、今は先生とは連絡がとれないとのことです。今日、高校の同窓生からそのことを聞き、私はいろいろなことを思い出し、考え、少し涙を流し、実に何年かぶりで祈りました。

 高校で、私たち生徒は亀浦先生に随分ご負担をおかけしました。中でも私は特に先生にとって大きな重荷だったのではなかったかと、卒業後も先生のことを思い出すたびに考え、申し訳なく思っておりました。いつか先生にお目にかかって、そのことをお詫びし、また今の私のことを少し知っていただいて、「さとし、よくやっているね。よかったね」と言っていただけたらと思っておりました。

 今日、その機会が、まだ当分いただけなさそうだとわかり、少し寂しく感じました。しかし、不平は申しません。先生がお召しのままに思い、考え、行動されていることを信じ、そのことをお慶び申し上げます。

 高校時代、私は毎日昼休みに他の仲間と先生の部屋へ押しかけて、勝手に弁当を広げ、皆で勝手な話をし、先生に食後のコーヒーをねだるということをしていました。毎日、プランニング・ノートを付けて、先生に英文のコメントを付けてもらうという恩恵にもあずかりました。先生はそれらを無償でしてくださいました。今、毎日仕事をする生活をしておりますと、先生が幾人もの生徒のためにそうした時間を割き、心を砕き、考えてくださったことが、どれほどたいへんなことだったかがわかります。いいえ、むしろ想像を超えます。

 先生はまた、私の悩みや、思い付きや、十代特有の生意気な哲学や宗教についての質問にも耳を傾けてくださり、真剣に答えてくださいました。とてもありがたいことに特に不幸であったはずもない私などの“悩み”、そのようなものに真面目に向かってくださったことは、今思えば驚きであり、とてもおそれ多いことであり、心から感謝申し上げます。

 とてもお忙しいのに、先生に無理矢理に小説を読んでいただき、感想を求めたこともありました。あれなどは本当に申し訳ないことだったと反省しております。

 あの頃、私は本気で受洗するつもりでおりました。それだけでなく、先生もご記憶かと思いますが、神学を修め、神父になるつもりでもおりました。そのことでも、先生にいろいろなアドバイスをいただきました。その考えを祝福してくださったことにも、とても感謝しております。

 ところが、大学に通い、卒業し、就職し、その過程で私は他の道を考えるようになり、さらにクリスチャンになることに戸惑いも感じるに至り、今日現在は宗教的には全く全く「放蕩息子」そのものの暮らしをしております。それが先生のご落胆につながるかと思うと、身の縮む思いです。

 ただ、ご報告します。私は幸せに暮らしております。経済的、社会的な成功を収めたわけでも何でもありませんし(むしろ笑われます)、今も相変わらず人間的に未熟で、他人様(ひとさま)に迷惑をかけることはあっても、なかなかお役には立てないような有様でおります。それでも、以前に比べればはるかにましな人間へと向かって来れていると感じます。当時からの友人は、私に言います。「あの頃はお前は本当に剃刀のようだった」と。それでも、今は、「あの頃は」と付けてもらえるようにはなったのです。

 また、今は教会から離れていますが、宗教を持たない人間になったのではありません。いえ、どの宗教にも属していませんが、私なりに日々、神や仏が何であるか、この世が何であるか、欠かさずに考え、見聞し、読書するように心がけています。イエス・キリストのことも、かつてより遙かに身近に感じ、彼のことを考えます。この先には必ず、神との和解があると確信しています。それは、受洗、キリスト教への帰依という形にはならないかも知れません。けれども、先生がいつか、家を継いで仏教の僧侶となることを決めた私の同期生の決心を祝福されていたように、「さとし、よくやっているね。よかったね」と言ってもらえるような、心のありように至るはずだと信じております。そうしたいと念じております。

 そのように、私は今も未熟でありながら、この歩みには満足しております。ですからどうか、「放蕩息子」であることで悲しまないでください。

 そして、私が先生にいろいろなことを教わってから、私自身はでたらめな人間でありながらも、いつも先生とこの巡り合わせに感謝していることをご理解ください。

 私が亀浦先生から教わったことで、特に大切なことだと思っていることは二つあります。

 一つは、イエス・キリストに対する見方、感じ方、考え方です。

 思い出します。学園祭で出した文集の中の先生方のプロフィール欄で、亀浦先生は「尊敬する人」の欄に「イエス・キリスト」と書かれました。キリスト教でイエス・キリストは三位一体の神で、もちろん先生もその体系の中で礼拝し、秘跡を行い、お話もされます。それでも先生は、尊敬する「人」としてイエス・キリストの名を書きました。かりそめにも一度はこの世に人として存在した、イエス・キリストその人、人物としての彼を尊敬するところに、先生の宗教観の出発点があることがわかりました。私も、この視点がなければ、イエス・キリストの愛の深さ、勇気、信じる力の強さ、偉大さというものは、なかなかわからないのだと思っています。

 いま一つは、聖書の奇跡物語を鵜呑みにすることは誤りということです。

 先生は、おっしゃいました。「イエス様が触っただけで病気が治ったり、命令しただけで死者が甦ったのが本当だったら、なぜ僕たちはせっせと働き、苦労してお金をためて、みんなでそれを持ち寄って病院を建てなければならないのか」と。私はそのご指摘から、物事を科学的、現実的に見て、その上で正しい努力をしなければいけないということを教わりました。

 私たちの高校で、カトリック信者の社会科の先生が、倫理社会の授業の中で「もしもイエス・キリストの物理的な復活がなかったことが科学的に証明されたら、キリスト教は根本から崩壊する」と話したことがありました。その話を聞いて、亀浦先生は「とんでもない」とおっしゃり、本当にご立腹で、また悲しそうにしていらしたことを思い出します。上二点からすれば、イエス・キリストとキリスト教の本質はそんなところにあるのではないのであって、先生のあのいら立ちは当然のことですし、私も共感しました。

 私は、この二点から、その後の、宗教、哲学、科学、人間の見方、本質の見付け方のベースの一つをいただいたように感じています。そのことを本当に感謝しています。

 しかし一方、先生のそうした見方、考え方が、時には他の信者の方々の見方、感じ方、考え方とうまく合わずに、ご苦労されることも多いのではないかと想像いたします。お悩みになること、落胆されることもあるでしょうし、お疲れを感じることもあるでしょう。だからどうであるということはないのですが、ときに先生のご健康が心配になることがあります。

 また、先生はいつも、「学校の神父でいていいのだろうか。この小さな場所でみんなのことを考えているだけでいいのだろうか。僕は、もっとたくさんの人の役に立たなければいけないのではないだろうか」と自問されていました。私にはその記憶があるので、先生が今は学校を離れ、北海道を離れ、恐らくは日本も離れていらっしゃることは、詳しい事情はわからなくても、お気持ちはわかるように思います。

 先生、どうか私たちのことは顧みないでください。私たちは大丈夫です。私が、「私たち」などと勝手に言ってはいけないかもしれませんが、私たちは先生に教わることができましたし、人に頼らず、自分で自分を律する人間になれるようにということは、私たちの学校がずっと教えてきたことですし、今も、これからも教え続けると思います。ですから、いいのです。寂しいですが、私たちは私たちで何とかしていくことができると思います。先生のおかげで、私が曲がりなりにも幸せに暮らしていることは、先に書いた通りです。私たちは十分なご指導をいただきましたし、それぞれに頑張っていけると思います。大丈夫です。

 それよりも、どうぞ先生が信じるままに、お召しがあるままに、存分に真心を尽くされ、ご活躍なさってください。先生が私たちのそばにいなくても、私たちは先生に感謝し、尊敬し続けます。そのことを信じてください。そして、先生のことを陰ながら応援し、ご成功をお祈りしております。どうか、私たちのことはご心配なさらず、思い、考え、ご活躍をお続けください。

 ただ、二つだけお願いがあります。

 まず、お体に気を付けられ、ご健康でいらしてください。

 そして、もしできれば、年に一度でけっこうです、母校にクリスマスカードを送っていただけませんか。ただ一行、“Merry Christmas”とだけ書いていただければ結構です。その1枚のカードで、私たちは、私たちの恩人が元気でいらっしゃることを知ることができます。

 先生。どうか。

© Satoshi Saito, Kosetsusha, Inc. All Rights Reserved.
No reproduction or republication without written permission.