食べ物記者 齋藤訓之

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「拈華微笑」。なぜ笑ったか、のなぜはなかった

[caption id="attachment_1252" align="alignright" width="192"]優曇華の花じゃなくて、白蓮華 優曇華の花じゃなくて、白蓮華[/caption]

 あるとき、釈迦がすごい説法をするというので、大勢の人が集まった。どんな説法かと、一同、釈迦を囲んで微動だにせず。すると、釈迦は無言で優曇華の花1本を手折り、皆を顧みる。一同、何のことか分からずだんまり。その中で、釈迦十大弟子の一人、摩訶迦葉(まかかしょう、マハーカッサパ)だけが、破顔微笑した。見つめ合う師弟。そして釈迦は、摩訶迦葉に正法眼蔵涅槃妙心(しょうぼうげんぞうねはんみょうしん。仏法の根本)を伝えると宣言した。

 うーん。何で、花を見せたら笑って、その笑った人が仏法の継承者に指名されたのか。何となく分かり、何となく分からなかった(どちらかといえば、分からなかった)。

 ベジタリアン料理の「sofa」(ソーファ)の木村重一さんに、数年ぶりでお会いした。やはりベジタリアン料理の「菜食健美」の大晶企画が主催する、「エミングキャンペーン」というものに参加している。何ということではなく、思わず知らず微笑んでしまう「笑み」。それが、健康と幸せへの第一歩と考えて、その微笑みの輪を広げようというキャンペーンと言う。

 せっかく木村さんがその説明を一生懸命してくれている、正にそのとき、「拈華微笑」の謎が解けた。いや、謎が解けたというよりも、なんだか分かったように感じた。それで木村さんの話を中断させてしまった。木村さん、ごめんなさい。

 今日の今日まで、「拈華微笑」のことを、「釈迦が華を見せる」→「摩訶迦葉が笑った」と、因果律的に考え、その「→」の意味ばかり考えてきた気がする。

 ところが違うのだ。きっと。華を手折ったとか、みんなに見せたとかは、それはそれ。摩訶迦葉が破顔微笑したというのも、それはそれ。その前者と後者の間にある「→」の意味など考える必要はなかったのだ。

[caption id="attachment_1253" align="alignright" width="144"]弥勒菩薩。台湾のお寺の大仏 弥勒菩薩。台湾のお寺の大仏[/caption]

 釈迦が優曇華の花を示した意味は、特にない。意味はないから、そのナゾは解くまでもない。だから、摩訶迦葉が微笑んだのにも、特に意味を見付ける必要はない。げに、げに、彼はただ笑ったのだ。

 そしてその笑顔が、釈迦から見て、とてもよかった。その笑顔があまりにもよくて、釈迦は、その摩訶迦葉の笑顔に、大悟を得た者の姿、すべてを知り得る者の表情を感じ取り、摩訶迦葉に正法眼蔵を伝えると決めた、のだろう。しかも、伝えると言ったとは言え、たぶんもう、伝え終わっていたのに違いない。

 どんな笑顔かと、人知れず、試したり練習してみたりする。わざとやるわけだから、当然、その笑顔にはならない。なるほど。

 十牛図の最後、入廛垂手の図の覚者の惚けたようにさえ見える、でも存在感を感じさせるあの笑顔。ときどき、そういう人を見かけることがある。浄土真宗で言えば妙好人。子供の頃、田舎の街にはそんな笑顔のおじいさん、おばあさんがいっぱいいた気がする。

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