食べ物記者 齋藤訓之

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ごめんね、ジェームズ

[caption id="attachment_1266" align="alignright" width="192"]立待岬から望む大鼻岬(函館) 立待岬から望む大鼻岬(函館)

 高校に、ジェームズという若い修道士が来た。この修道会、創始者はフランス人、我が校にたくさんいたのはカナダ人。ジェームズは米国人だった。米国人にもちゃんとカトリックはいるんだとわかった。

 生徒会で、年に1号、冊子を作る。その編集係の一人に選ばれた。あれは1年生? 2年生? 忘れちゃったなあ。

 担当したのは、ブラザー(修道士)たち一人ひとりにインタビューをして、それを記事にまとめるというもの。あの頃から今まで、日々やっていることのおおまかなところは変わらない。もっと言えば、幼稚園に入る前から何か書いては綴じて本を作っていた(いたずら書きですよ、もちろん)。

 欧米人のインタビュー、今も思うけれど、よほどの準備をしないと盛り上がらない。ものすごくつまらない取材になる。通り一遍の質問に対しては、彼らはそのほとんどについて、3年も前から回答を用意している(これ、日本人は見習うべきところ)。用意していない質問が来ると、一般論でさらりとかわす(これも、日本人は見習うべきところ)。

 欧米人への取材を面白いものにするには、相手が語るに落ちてしまうような策略が必要だ。しかも、できればそれを、恨まれずにできるようでありたい。私はこういうの、まだまだできない。

 あの頃は、もっとできなかった。だいたい、大学入学以降に人前力を鍛える前の私は、口べたで引っ込み思案の内弁慶だったのだ。しかも、普段授業以外ではほとんど言葉を交わしたことのない相手、しかも外人にスマートな質問なんかできなかった。正攻法しかない。

 正攻法だと、こういう、読み手にとっては何の役にも立たない話しか出てこない。

――なぜ、修道士になったんですか?

「ある日、神が導いてくださったのです」

 ね? この場合は、「どのように修道士になったんですか?」と聞けばよかったのかもしれない。

 ジェームズは若かった。そして、真面目で、日本贔屓で、相手の気持ちをくもうとしてくれる人だった。米国人にだって、こういう人はいる。少なからず。

 対する私は、思い付いたまんま尋ねるノーガード攻撃。出たとこ勝負。しかも、わからないことはわかるまで聞きたいしつこさ(あの頃のほうが記者に向いてるなあ)。

 ジェームズの、禅智内供の鼻とはこういう風かというほど立派な鼻を見つめながら、尋ねた。

――仏教をどう思うの?(修道士にそんなこと聞くなよ)

「あー。私は、ゼンを、勉強し(てい)ます」

――ゼン! だって、ジェームズはカトリックでしょ?

「んー。私が、神を、信じる上で、助けるものが、ゼンにあります」

 バチカンが他の宗教との交流に力を入れたことがあった。聖職者が坐禅を組むのがブームになった時期があったようだ。

 しかし、キリストを盲信し、両親の信徒としての不徹底を内心批判することでエネルギーを燃やしていた当時の私に、ジェームズの話はまるっきりわけのわからないことだった。

 心の中で、「ジェームズは間違っとる」と決めてしまった。

 しかし、その後も、何度も何度も、「ジェームズは何を言っていたのか?」と気になった。気になったくせに、調べようともしない。

 やっと禅の本を読み出したのは30代も後半。松原泰道さん、松原哲明さんの龍源寺(東京都港区)を訪ねて初めて坐ったのは40歳(この後、日経BP社は平河町から龍源寺の近くに引っ越した。縁を感じる)。

 もっと早くだったらよかったのに。と思う、それもひっくるめて、これでいいのだろう。

 ごめんね、ジェームズ。

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