食べ物記者 齋藤訓之

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逆境の中の裏技が生んだスコッチ

 スコッチ・ウイスキーの源流をたどれば、最初それは無色透明で、あの独特な香味というものはなかった。恐らく、ウォッカや甲類の麦焼酎のようなものだったに違いない。それがいわゆるスコッチ・ウイスキーへと変貌して行った歴史は、いわば受難の歴史だ。折々に立ちはだかった逆境と、それから逃れるためや裏をかくためのこざかしいことどもが、あの味を作り上げてきた。

 1707年、イングランドがスコットランドを併合。その後、イングランドはスコットランドでも酒の原料の麦芽に課税を始めた(麦芽税)。

 ここから二つの流れが出来る。

 第一の流れ。

 スコットランドでは、これをきっかけに酒の造り手が続々とハイランドの山中に隠れた。課税から逃れるための密造モルトウイスキー造りのためだ。

 そこは燃料に恵まれなかった。そこで泥炭(ピート)を使った。そのため、期せずしてスモーキーフレーバーが着くようになった。

 密造だけに、町でおおっぴらに新品の樽を作らせて持ち込むわけには行かない。そこで捨てられるシェリー酒の古樽を流用したという。その樽に入れたまま山中に隠し続けたモルトウイスキーは、特有の色、香り、甘みを身にまとった。

 第二の流れ。

 ローランドでは、麦芽税に対し、大麦麦芽の使用量を減らし、トウモロコシなどを主原料としたグレーンウイスキーの製造が発達する。

 ところが、政府は釜容量税というものまで導入。グレーンウイスキーの税率も上がり始めた。

 これに対して、彼らは釜の容量を減らして蒸留回数を増やすことで応戦。これによって連続式蒸留器というものが発達する。商業者の面目躍如。さすがだ。

 そして、この二つの流れが、やがて合流する。

 19世紀の後半、フランスにフィロキセラ虫被害が広がり、国中のブドウ園が壊滅的被害を受ける。このためイギリスにコニャックが入らなくなり、そこで初めてウイスキーの株が上がった。それまでの、田舎のちょっと変わった酒という扱いから、一躍国民酒へ飛躍した。

 ところが、需要が増えたもののモルトウイスキーは量産が利かない。比較的量産が利くグレーンウイスキーは味がつまらない。

 そこで両者を混ぜること(ブレンド)が発明された。

 悪く言えば「混ぜ物をした」わけだけれども、混ぜ具合が研究され、混ぜた後の扱い方もマリッジと言ってよく研究された。

 今では、大英帝国の法律で、原料、醸造の方法、蒸留の方法、熟成まで、スコッチ・ウイスキーを名乗るために守るべき事柄が細かく規定されているという。結局は国家にインテグレートされてしまったわけだが、文化として完成し、国家的財産として守られているわけだ。

 いやさ、言いたいのはスコッチ礼賛ではない。

 日本酒はなぜ純米が尊ばれるのか。

 本醸造ではいけないのか。

 醸造の過程で醸造アルコールを添加して発酵をコントロールする手法は江戸時代からあるという。それを文化として尊ぶ風が消費者の間になかなか浸透しないのはなぜか。「アル添」と即物的に呼び、「柱焼酎」(今日で言う「アル添」の技法)などという言葉は市中にほとんど紹介されない。

 さらに言えば、原酒を別なアルコールなどで延ばす方法(いわゆる「三倍醸造」「三造酒」の類)も、方法自体が攻撃される、あるいは自虐的に卑下されるのはおかしい。

 攻撃するのがおかしいのではない。攻撃されるのがおかしい。三倍醸造は戦中戦後の逆境から生まれた。それがニセモノ、ヤスモノの地位に甘んじ、文化にまで高められなかったのはなぜか。

 情けないのではないか。

 口に入れるものの善し悪しは、原料や方法から語られるべきではない。

 大切なのは出来上がりの品質のよさ。そしてそれに対するプライドだ。

 翻って、ビールへの重税という逆境が生んだ発泡酒。国からの執拗な課税の動きを逆に肥やしとして、スコッチ級の文化に迫ることはできるか?

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