食べ物記者 齋藤訓之

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公序良俗に反する話題

 ある時、親しい仲間数名で酒を飲んでいたときのこと。食べ物の好きなもの同士、アルコールの勢いで、最近食べたコメではどこの産地のどの銘柄がうまかったなどという話になった。

 一通り自慢話が出尽くした後で、その会には初登場のある二十代の女性が戸惑いながら言った。「私、だめなんです。両親から、おいしいコメを探して食べちゃいけないって言われてて……」と。

 見識のあるご両親だと感心した。

 食に金を遣い過ぎてはいけないということでもあろう。でも、それだけではないと思う。

 食べるというのは、生理学的に必要なものである一方、官能を動員して行う楽しみでもある。将来のある若い人が、そういうものにうつつをぬかす生活というのはどうなのか。特に主食を快楽の対象にするのはいかがなものか――その人のご両親のココロはそこにあるのだろう。

 さらに一歩進めて考える。食べることに動員した官能がいかに働いたかという話題は、つまりは“ひめごと”、いわば下ネタの一つだ。であれば、人前で声高にどこの何がどううまかったなどと話すのは、どうなのか。

 そこが問題だ。

 セックスは大事だと。子孫が残るためにも必要だと。しかし、それに溺れるのはどうか。さらに、それについて人前で声高に話すのはどうか(それはごく親しい友達同士で、人目をはばかりつつひそひそと話す話題だ)――食べるということについての話題はそのことと同じことなのに、なぜか皆それを忘れてしまっている、のではないか。

 最近は電車の中で、街の往来で、昼間の喫茶店で、しまいにはオフィスで! 味覚の話が大きな声でやりとりされ、喧しいこと甚だしい。「うまい」「おいしい」その一言であればまだ聞き流せるが、微に入り細に入って、「何が舌の上にどうの」「その微妙な香りがどうの」などとまで言う。しかも、より複雑な“うまさ”を知ってしまった人は、それを高いステイタスを得たかのように話す。聞く方も、それにあこがれたり、卑屈になったりして聞く。

 ……あるよ、ある。その会話の様子には見覚え・聞き覚えがある。そう、あれ。あの会話――ハイティーンの、覚えたてのセックス自慢。あれさながらだ。

 私の場合、おいしいものの話はやはり、親しい友達同士で、人目をはばかりつつ、ひそひそと話したい。

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