食べ物記者 齋藤訓之

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謙虚に“最高”を目指してきたタケノコ

丁寧にタケノコを掘る

丁寧にタケノコを掘る

 茨城県牛久市の高松求さんという農家のところへ、毎年春、タケノコを掘らせてもらいにうかがう。今年は冬の寒さもあり、本格的な収穫は例年よりひと月ほど遅い4月となった。今頃が最盛期だ。

 稲作を中心に、ムギ、ダイズ、ラッカセイ、そしてかつては養豚(繁殖)も展開していた高松氏。自宅裏の圃場にタケを移植したのは、1967年。「春先に取れるものがなかった。一方、春は学費などお金のかかる時期。そこで春の収入としてタケノコに着目した」のだ。

 その眼の付け所と実績が評価され、林野庁長官賞を受賞したこともある。その“ご褒美”、何がいいかと問われた高松氏、「日本一と言われる京都のタケヤマ(タケの圃場のこと。ヤマはmountainではなく、鉱山をヤマと言うのと同じヤマ)を見に行きたい」とリクエスト。役所はジープを出して、京都の名だたるタケヤマを案内してくれたという。

 そこで高松さんは、「畏怖を感じた」。丁寧に管理されたタケヤマ。そこへ高級外車を乗り付けて、頭を下げてタケノコを買いに来る料亭の主人たち。最高級品を作る現場と、それを支える需要者と、両方を目撃した。「最高のものを見ると、謙虚になれる。そして目標をもらえる」。

 高松さんがタケノコに取り組み始めた直後、Chinaから安価なタケノコの缶詰がどんどん入るようになり、高松さんは打撃を受けた。同時期にタケノコに取り組んでいた周辺の農家のタケヤマは荒れ、タケヤブに変わっていった。しかし高松さんは、その後もタケヤマを美しく守り、最高のタケノコを目指し続けてきた。市場の評価も高く、そして私が高松農場に通い始めて十余年、タケノコの見栄えと味は年々良くなっているように感じる。

 とは言え、年齢を重ねるうちにつらくなってきたのが、収穫と調製。掘るのも運ぶのも、選別するのも、箱詰めするのも、それを出荷するのも、重労働だ。「このタケノコを買ってくれる外食や小売の人が現れて、若い社員さんが掘りに来てくれたら……」。

 高松さんのその言葉に、私はいくつかの飲食店、外食企業を思い浮かべた。最適と思われたのは、当時20店ほどのチェーンだった「濱町」を展開していた平成フードサービスだった。副社長の武内智さんが、自ら歩いて、すべての食材を北海道産に変えたと聞いて数年後のことだった。有機栽培の農家としっかり付き合っていて、高松さんの取り組みにも共鳴してくれると考えた。

 武内さんを一度ご案内した後、何度かの行き来を経て、武内さんは全量買い取りを決めた。冬場には、店舗スタッフを中心とした社員さんたちがタケヤマの管理を手伝いに来たりして、「あの頃はずいぶん助かって、よい回転になりました」と高松さんは述懐する。

 しかし、その後武内さんが平成フードサービス副社長を退任することとなり、タケノコはまた高松さんが自分で市場に出したり、各地の知人への贈答としたりという形に戻った。武内さんはワタミグループに入り、その後も高松さんとの人間的な交流は続いているものの、同グループであのタケノコを使うには、規模等の面でいろいろ合わない部分があるはずだ。

 高松さんのタケヤマには、高松さんの経営哲学と方法がすべて凝縮されている。最高のものを見て考える経営のこと。栽培の段取り、作業の段取りのつけ方。そのバックグラウンドとしてのコストに対する考え方。有機物を自家の圃場間で循環させる方法。それら全体をベストな状態で実現する様々なアイデアの数々。……などなど。

 それらから受ける刺激がありがたく、毎年毎年、タケノコを掘りに行く。そうして甘える一方、そろそろ、またしかるべきタケノコ需要者を探さねばと思いながら、さっぱりお役に立てていない。

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