食べ物記者 齋藤訓之

農業、食品、外食に関するビジネスの記者・編集者、齋藤訓之(さいとう・さとし)のWebサイトです。

自分は“何屋”であるかということ

[caption id="attachment_1491" align="alignright" width="192"]眼は大切に 眼は大切に[/caption]

 編集者になりたての頃、結膜炎になって眼科に行った。充血して、かゆいどころか痛くて、これはただごとではないと感じた。それで、学生のころ一度診てもらって、いい先生だと思っていた眼科に行った。住んでいた阿佐ヶ谷からわざわざ電車に乗って西荻窪まで。思えば、電車に乗って行ったのがいけなかった。

 大学病院勤務時代の写真や賞状がたくさんある医院だった。

「たぶんインフルエンザのウイルスが目に感染したのだ」と、年輩の医師は言った。確かに幾日か前、隣の編集部の女性がインフルエンザの高熱を押して徹夜仕事をしている横で、私は眠い目をこすりながら原稿を書いていたのだった。

 それにつけてもその医師の不機嫌そうなこと。診察室に入って私の顔を見るや、座りもしないうちから「あっ! 結膜炎か!」と叫び、医師も看護師も真っ青。狭い診察室が、その瞬間から蜂の巣を突付いたような騒ぎになった。「千と千尋の神隠し」のオクサレガミが来たシーンのようだった。

「なんでうちに来たんだ」「どうしてうちに来たんだ」「ああもう! なんでうちに」そんなせりふを連発しながら診察。診た後にその手を洗うのは当然だけれども、その間も「あー!」「もう!」「どうして!」と騒ぎながら、乱暴に手を洗っていた。「ハネが飛ぶと危ないのでは」とはらはらした。

 で、よくわからなかったのが、そんなに大騒ぎしている医師が、「そのまま会社に行ってもいい」と言う。手を洗いながら。

 最後に受付でお金を払うときがすごかった。奥方らしき白衣の女性が、医師同様いかにも不機嫌な顔で、目を半目にしながらゴム手袋をはめて、普段使っているお金を入れるプラスチックのトレーではなく、薬か脱脂綿か注射器の四角い缶のフタを指先でつまんで差し出した。お金を受け取ったあと、それにアルコールを振りかけるか、フタごとバーナーであぶったのかもしれない。診察料は安かったので硬貨で払ったのだけれど、いっそ札で払ってやればよかったと、今もときどき意地悪なことを思い付く。

 医院を出て、涙が出るほど悔しく、惨めな気持ちで駅に向かった。子供の遊びではなく、現実の社会にも「バイキン」や「エンガチョ」があるなんて……。しかも、職業名の頭と尻に「御」と「様」を付けて呼ばれるような人から、あんな扱いを受けるとは。

 私は差別問題に鈍感な土地柄の北海道生まれの北海道育ちだけれど、あの十数分間で、差別を受けてきた人たちが感じてきた気持ちのうちのある種のものが、相当程度理解できたと思う。

 事業主としてのあの医師の気持ちがわからないではない。もし医師本人が結膜炎になったり、医院から結膜炎がはやりでもしたら、倒産も夢ではないのだろう。

 しかしいずれにせよ、あの日から、医師を見る目が厳しくなった。

 今でも、目がかゆくなったり、仕事上困難な局面にぶち当たったとき、心の中でこう叫ぶ。「あんたの職業はなんなんだ」と。あの医師に向かってではない。自分に向かってだ。

 大切な思い出だ。

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