食べ物記者 齋藤訓之

農業、食品、外食に関するビジネスの記者・編集者、齋藤訓之(さいとう・さとし)のWebサイトです。

変わる文字、変わる文章

書く

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 twitter。面白いでしょうね。私はやりませんが。KindleiPad、これも面白そう。Kindleは「日経ビジネス Associe」編集の元同僚が持っていて見せてもらったことがある。パソコンの延長で考えていたら、全然違う代物だった。どちらかというパソコンよりも下敷きや団扇に近い。iPadはどんなかな。iPhoneの大きい版と考えていると、また楽しく裏切られそうな。

 文字というものの使われ方が、こういうものでどんどん変わっていく。漢字が渡来したり、ひらがなが発明されたり、活版印刷技術が輸入されたり、そういう時期と同じぐらい衝撃的な歴史的変化の時代にいるんだろうなと思うとわくわくする。

 ただし電子書籍というアイデアは、その大革新とはほど遠い煮え切らなさ、ばかっぽい印象がどうしてもぬぐえない。なにかこう、「既存の資産を活用しよう」だとか、「今までのノリで使えるようにしよう」とか、そういうケチくささを感じる。

 twitterは今らしいと思う。ケータイで書いたケータイ小説も、今の道具とコンテンツの統合がまあまあ取れている。

 書かずにほがらかに歌う時代の文学は五七調の短歌だった。書きもするし、気どって歌ってみせる時代の文学は七五調の短歌だった。読み書きが普及して、暇な時間というものもできる時代になると草双紙(黄表紙とか)や読売(瓦版)という漫画の元祖が出て、文字の消費が始まった。活版やグラビアの技術が輸入されると、そういうもの量が増したり、小説という商品が受けたりして、現在(のちょっと前?)に至る。

 メディアも、肉声から、木簡や笏になって、和本や懐紙になって、写本から版本になって、それがディスクやメモリになったり、インターネットで“エアー化”したりと変化の真っ最中。

 それで今、道具が変わろうとしているんだから、昔の小説やマンガを新しい機械に載せるっていうのは、やることに反対はしないけれど、やっぱりなんだか間抜けな気がする。

 新しいコンテンツが必要でしょう。それで、それは消費されるものではなくて、昔の詩歌や井戸端会議のように、自然に生まれて自然に流れて自然に残ったり消えたりするもののはず。

 そして、私のブログのように長いのはだめね。ほかの人のサイトを見ていてもそうですが、ブログに付くコメントで文章全体に対する指摘というのは少なくて、どこか1パラグラフか、なにかの一言にインスパイアされたもののほうが多い(全く想像もしなかったコメントとか付いて面白いものです)。道具と読み方が、そういう風になってきている。

 書籍は陶器・陶芸の世界のようになっていくんだろうな。日常使うものはいろいろな工場で最新技術を使って大量生産して、欠けたとか割ったとか、100円で見つけたとかいっている。その一方で、とんでもなく高価なものが少量、こつこつと作られて、大事にしまい込まれて、ときどき眺めたりさすったりされている。どちらも基本技術は同じで、ありがたみにものすごく大きな幅がある。けだし成熟市場 哉。

 やっぱりtwitterやらなくちゃかな、私の場合(しないと思います)。

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