私とANA全日空――出会い、あこがれ、絶縁、再発見または和解 IV

確かに飛んでいます。 想う伝える
確かに飛んでいます。

とにかくそんなわけで、飛行機にはコンプレックスがある。相当に強いコンプレックスが。

確かに飛んでいます。

確かに飛んでいます。

 そう。文系でも、全日空の社員になるという選択はなかったわけではない。その気持ちは、後々まで漠然と持っていた気がする。でも、私はひとを飛ばすのではなく、自分で飛びたかったのだ。飛べないのに航空会社に入ろうとあがくのは、自分にとっては潔いことにはどうしても思えなかった。

 加えて、ある出来事を境に、全日空へ希望を出そうと考えることは、きっぱりやめた。大学の卒業生が、母校の後輩たちに就職活動の心得を話してくれるという機会があった。そのときのことだ。

 その人は、確か学部の主席で卒業して、全日空に入った。先生の紹介では、「学生に非常に人気の高い全日空に入った」という言い方がされた。で、その人は後輩たちに思いやりのあるアドバイス満載の話をしてくれたのだけれども、「飛行機が好きで」という話はついぞ出て来なかった。本当は何か話してくれたのかも知れないけれど、私は私で、「世の中で最も飛行機を愛し、全日空に最高の忠誠心を持っているのは僕だ」と思っていたから(どんなやつだ)、たいていのことでは響いて来ない。

 それで、がっかりした。事実は知らず、飛行機が好きじゃなくても、成績が良ければ入れる会社なのだと受け止めてしまった。多くの学生が志望するということは、つまり飛行機が好きじゃない学生も志望している会社とも考えられる。その二つで、私の就職先としての全日空は大幅にディスカウントされた。ありていに言って、とても嫌な日だった(でも、本当はその人も飛行機への憧れはあったに違いないのだ)。

 と言って、このとき、私は全日空が嫌いになったわけではない。別なかかわり方で行こうと思ったのだ。働いてためたお金で、全日空の株を持つ。多少の株を持っているからと言って、なにがあるというわけではないけれど(たくさん持てば株主優待券はもらえるだろうけれど)、仮に何もなくても、それだけで全日空とのかかわりは感じていられる。私と全日空の関係はそれでいいじゃないかと考えた。

 とは言うものの、結局マスコミに入ったので、どの会社と言わず特定の銘柄の株を持つわけにはいかなくなった。さてさて、私と全日空は、結局本当になんでもないものになってしまった。

 そんな寂しさを感じているころに持つことになったのがANAカードだった。

 ここまでのことでわかると思うけれども、私は全日空に対して一方的かつ強烈な片思いをし、アタックもせずに自爆し、それでもなおかつかかわりを持ちたいと願っている、最高に未練がましい、言ってみればたちの悪いストーカーのようなものだ。ストーカー被害に悩んでいる人もいる中、比喩で軽々しくストーカーという言葉を使うなという批判もあると思うけれど、つまりこれは比喩ではなく、私は全日空のストーカーそのものなのではないかと思うことがしばしばある(別に誰かにつきまとっているわけではないけれど)。

 ストーカーになるまでには、初めて全日空機に乗って以来、これまでにいろいろな勘違いをし、それを積み重ねてきた。その結果として、ストーカーになっているのに違いない。

 上から失礼。富士山よ、ごきげんよう。

上から失礼。富士山よ、ごきげんよう。

 学生時代までは、スカイメイトになっていて、これはその年齢ならだれでも会員になれるわけだけれども、何か優遇されている、全日空(だけでなく、日本航空も東亜国内航空も使えるのだけれど)から歩み寄ってもらっている感覚があった。これが初期の“勘違い”だと思う。

 その後、最初に作ったANAカードはクレジットカードの付いていない、マイレージだけをためるためのカードだった。

「マイレージ」というのは、いい言葉だ。「あなたは私たち全日空と一緒にこれだけの距離を飛びましたね。わからなくならないように記録しておきますよ」と言ってもらっているようだった。パイロットの「滞空時間」のように、素敵な響きがある。ヨドバシカメラの「ポイント」なんかとは全然違う。

 マイレージの登録が、また全日空贔屓の心をくすぐるものだった。搭乗カウンターの横にある機械にANAカードと搭乗券を入れる。当時、そんなことをする人というのはほとんど見かけなかった。それで、ほかのお客の「あの人は何をしているんだろう?」という視線を浴びながら、登録機の前に立つのがなんともうれしかった。本当にばかばかしい話なんだけれど。

 そうしてせっせとマイレージをためて、いずれ全日空オリジナルのクロノグラフをもらうのが楽しみだった。

(つづく)

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