文章は直してもらうもの

駿河版銅活字(国立歴史民俗博物館) 想う伝える
駿河版銅活字(国立歴史民俗博物館)

マーケティングリサーチの会社を退社して、柴田書店に入社したのが1989年の4月。経営情報誌「喫茶店経営」(後に休刊。さらに後、神山泉氏によって復活され、現在は泣く子も黙る「cafe-sweets」に)編集部に配属された。

駿河版銅活字(国立歴史民俗博物館)

駿河版銅活字(国立歴史民俗博物館)

 いちばん最初に書いた原稿は、店舗紹介の短い記事だったと思う。あの頃、社内にパソコンは皆無。原稿用紙に鉛筆で書いた。書いたものを、恐る恐る編集長のところへ持って行く。我が師、柴田書店では「雑誌の神様」とも「宇宙人」とも呼ばれた池田宗章閣下のお机だ。

「ふーん」と池田さん。直立不動で立つ25歳前夜の私。赤鉛筆を持って原稿用紙を眺め始めた池田さん。そわそわ気になって、それをのぞき込む私。

「いいの。君はあっちへ行っていなさい」と池田さん。画家はアトリエを見せないと言うけれど、編集長やデスクも、赤入れの作業を見られたくない人が多い。

「はい」と引き下がりつつ、でもやっぱり気になって、ちょっと遠くからだけれども、じっと池田さんの手もとを見続ける私。あの頃、私は視力が良かった。池田さんの手もとで何が起こっているか、よーく見えた。

 何が起こったか。すごいよ。駆け出し、ペエペエの私の原稿。たぶん、今見たら読めたものではないはず。それでも編集長に提出しちゃうんだから、若いときの図々しさというのは貴重なものだと思う。

 池田さん、赤鉛筆でちょこちょこ字を直していたかと思うと、ある箇所をぐるぐると赤鉛筆で囲み、それをずいーっと、全然違う箇所まで移動するように指定(直しの校正記号や仕様変更などの赤文字を、「指定」と言う)を入れる。そういうぐるぐるがいくつも出来る。私、息を呑みながら、それを見守る。

 どんな年齢、立場、能力の人だって、自分が書いたものを直されるのは気持ちのいいものではない。私も最初、「あー、せっかく書いたのに、やっぱり直すんだ……」なんて思いながら見ていた。ところが、その指定を目で追いながら、新しく組み立てられた新しい文章を頭の中に思い描いて読んで、……感動した。

「へぇーーー」って、これは私のせりふ。私が書いた、真っ黒けな石炭のような原稿が、赤鉛筆を持つ池田さんの手の下で、みるみるうちにダイヤモンドに変わっていき、光り輝き始めた。うそだと思うかもしれないけれど、これは本当に感じたこと。どんどん素晴らしい文章に書き換わっていった。あの感動、感激は生涯忘れない。

 あの日、原稿は直してもらってナンボなのだと心から思った。自分で言うのははばかられることながら、多少「文章、上手だね」と言ってもらえるようになった今でも、その気持ちは変わらない。

 それから何年か経って、くだらない自信を抱えて日経BP社に入社し、「日経レストラン」に配属された。正直に告白して、くだらない自信があるから、最初原稿が直されることにずいぶん抵抗を感じた。デスクと衝突して、ずいぶん迷惑をかけた。

 でもありがたいことに、どのデスクも、粘り強く私を説得してくれた。説明してくれ、質問してくれ、もっと良く書き直すようにと原稿を返してくれた。当時の加藤秀雄編集長は、今でも一杯飲むたびに「齋藤には本当に苦労した」とおっしゃる。それは本当に。

 でも、やがて私は池田さんにダイヤモンドにしてもらったことを思い出した。そして実際、デスクにきつく直しの指示を出され、半泣きになりながら書き直した原稿ほど、スコアが高いことに気付くようになった(スコアというのは、読者アンケートを取って、「その記事を全部読んだか」を測った結果の数字)。やっぱり、そういう原稿がダイヤモンドになり得るのだ。

 デスクに提出するときは、いつだって完全無欠な原稿として、手抜きなどもちろんなく、全身全霊を注いだつもりで書いている。でも、やっぱり直しの指定が入って返ってくる。その直しを見るのが、私にとっては取材するときに並んで、この仕事の大きな楽しみだ。

 嘘ではない。掛け値もない。本当に。どんな記事も、そのプロセスを経てこそ生まれ変わり、輝き出す。

 楽しみは、自分と違う視点を持ったデスクに、その原稿がどう読まれたか、どう感ぜられたかという、他者の目を知ること。そして、私とは異なる文章に対する感覚、感性に触れることができること。そして、私の書いた記事が、より多くの人に有益なものになっていく、その現場にいられること。新しい原稿を編集者に渡すたびにそれを感じ、ますますこの仕事はやめられないとわくわくする。

 人に文章を直してもらう素晴らしさを若いうちに味わっておくこと。その感激を、何歳になっても忘れないこと。よい文章を書くコツの9割は、恐らくその2つで占められるのだと思う。

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